学生がいきなりブラジルで「新聞記者になる」――。現地の日本人、日系人を主な読者とした日本語新聞の「ニッケイ新聞社」が僕の研修先でした。大学の専攻は商学。何の経験もない中で日系社会を対象に研修2日目から取材し、記事の締め切り時間に追われ、これまでにない緊張感と責任を感じる現場でした。自分の記事が初掲載された時は、、、

私はブラジル研修中「ブラジル人の家族観」をテーマに調べていた。なぜブラジル人はあんなに幸せそうなのだろうか?その幸せの源は家族なのかを調べてみたかったからだ。調査方法は実際にブラジル人の家族と一緒にご飯を食べ、遊びに連れってもらうなど、ブラジル人の家族との触れ合いのなかで感じたことをその場でメモし、その日の夜の日記に書くことで、、、

私が日本ブラジル交流協会の23期生としてブラジルに足を踏み入れたのは2003年4月。あれからもう5年も経つ。私が敬愛している叔父、つまり母の弟だが、いつか私に言った言葉がある。「幸せとか運ってもんは、待ってても来るモンじゃない。自分から行ってつかみとるモンだ」
、、、

「じゃ、皆さん。サウージ(乾杯)!!」「うわっ 渡辺先生!!!」
テレビ画面に大写しになった渡辺先生の顔に、一瞬にして背筋が伸びた。偶然つけたスポーツニュース。現横浜マリノス(日本代表MF)の山瀬功治さんの特集で、「山瀬さんは中学時代はブラジルに留学されてたんですよね」「その中学時代の映像を見つけてきました〜〜!」と番組で流された、なにやら祝勝会を撮影したビデオでの1コマ、、、

ときどき、これは信仰に近いな。と思う。そういう人は周りにも結構多い。
ブラジルでの体験を思えば、この世知辛い世の中も結構何とか面白おかしくやって行ける。ブラジル側の視点から見たら、色んな事は結構大したことじゃなくなったりするときがある。自分のブラジルという体験が、帰国後の今までも、そしてこれからも、ちょっと大事な拠りどころになるんだと思う、、、

高校卒業の春、大好きだった女性にフラれた。今思えばこれがブラジル行きのきっかけだったと思う。
ショック状態のまま大学に入学。とにかく今の自分を変えたい、カッコいい男になりたいと思い、『深夜特急』片手にバックパッカーをやってみた。北米、欧州、そして南米を数ヶ月間かけて周った。色々なものを見て、感じ、人間と話した。それなりに満足感もあった、しかし、、、

ショック状態のまま大学に入学。とにかく今の自分を変えたい、カッコいい男になりたいと思い、『深夜特急』片手にバックパッカーをやってみた。北米、欧州、そして南米を数ヶ月間かけて周った。色々なものを見て、感じ、人間と話した。それなりに満足感もあった、しかし、、、
私とブラジルとの出会いのきっかけは,大学でポルトガル語を専攻したことです。大学受験を控えた高校時代,英語が好きだった私はもう一つ何か外国語を学びたいと考えていました。そんな折,地元でブラジルからの出稼ぎの人たちが増えているのを知り,将来何か手助けができるようになれれば,と選んだのがポルトガル語です、、、

「学生時代ブラジルに住んで、仕事でブラジルに戻った」というと、決まって「ブラジル好きなんですね?」「もうブラキチですね?」と言われる。
でも時々、ブラジルのどこが好きなんだろう?と自問する。
街の雰囲気でいえば、サンパウロよりブエノスアイレス(アルゼンチン)の方が好きだ。別にサンバやMPBを聞きまくってるわけじゃない、、、

街の雰囲気でいえば、サンパウロよりブエノスアイレス(アルゼンチン)の方が好きだ。別にサンバやMPBを聞きまくってるわけじゃない、、、
1985年4月。
22年前、就職活動を目前に控えて憂鬱な大学4年生だった私は、社会に出るなんて実感も自信もなく、正真正銘のモラトリアム真っ只中だった。そして、たまたまスペイン語学科の同級生に紹介された「面接だけで簡単にブラジルに留学できるゾ」という制度に飛びついた。思えばこの瞬間、、、

22年前、就職活動を目前に控えて憂鬱な大学4年生だった私は、社会に出るなんて実感も自信もなく、正真正銘のモラトリアム真っ只中だった。そして、たまたまスペイン語学科の同級生に紹介された「面接だけで簡単にブラジルに留学できるゾ」という制度に飛びついた。思えばこの瞬間、、、









